teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 人民食堂【外野席】3(192)
  2. JOHN LENNON(1)
  3. ガガミラノ時計スーパーコピー(0)
  4. ブランド偽物ブランド激安(0)
  5. 人民食堂【外野席】2(995)
  6. (1)
  7. 人民食堂【外野席】(1206)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


ヤマさんへ

 投稿者:注釈の人  投稿日:2017年10月17日(火)23時37分51秒
返信・引用
  私は、あなたに私が書き込む場所を指示されるつもりも、誘導されるつもりもありません。
少なくとも、人が書き込む場所を選ばせず誘導しようとするあたり、マルクスのやり方そのものだという事が解りますよ。

>主義を超えたならば、下記あさんと交流されることを望みます。

これ、誘導ですよね。
私が誰と交流するのも自由ですので。
それに、この表現。
初対面の相手でなおかつ、マルクス主義の批判者に対して「主義を超えたならば」というのは不自然であり、失礼ではないですか。
上から目線でまるで「超えてない相手」を見下しているように見えますよ。
この時点で、あなたのやり方はマルクス主義の情報操作のやり方そのものなんですよ。
マルクス主義のやり方は、他者を自分より低い立ち位置だと印象付けるレッテルを貼り、自分が相手より上位だという印象付けを行ない、誘導しますからね。
マルクス主義の批判者に超える相手など存在する訳もなく、存在の問題点を批判するのみです。
私はマルクス主義の「存在の問題性」を論じている訳ですからね。
「超える。超えない。」を論点としていませんので。
論点を無理に逸らしていますよね。
何に偽装していても、マルクス主義のやり方は変わりませんから。
あなたが、ここの管理人かどうかは知りませんが、私はここが「創価学会とマルクス」というタイトルだから書き込みました。
書き込んだ理由もgoogleで「創価学会 マルクス」と検索しただけですよ。
誘導先は名前が「人民食堂」と変えられているようですが「創価学会とマルクス」では困るのでしょうか。
そして、このタイトルのまま私が書き込むと不都合な事でも起きるのでしょうか。
そのあたりのやり方が、やはりマルクス主義なんですよ。
私は自由主義者です。
納得のいく説明がない限り、誰の命令にも従う理由はありません。
あなたに管理人の権限があり、このタイトルで困るのなら、いつでもこの掲示板を削除すれば良いではないですか。
誰もここを使っていなかった訳だし。
ただし、私の書き込みを削除する以上、マルクス主義の側から命を受け、利敵行為としてマルクス主義と偽装対立をしている人物に見える事になるのは仕方がないですけどね。
その場合、目的は情報操作と誘導ですね。
16年ほど昔、創価問題新聞の草の根掲示板で、それをされたもので。
あの時は、味方から背後から撃たれる気分で書き込みをしてましたよ。
あそこの管理人さんもマルクス主義で、偽装で創価学会と対立してましたからね。

もし、ここの管理人さんが「幸福の科学」の会員さんならば、利敵行為としてマルクスを批判している事の立証になりますが。
大川隆法もマルクス主義の情報工作員だというのが私の見解ですので。
大川隆法も父親の代から、情報操作の為に宗教を演じろと命じられてたようですからね。
共産党の活動家の父の代から、情報操作の為にマルクス主義の批判している息子「大川隆法」。
経歴から、マルクス主義の命を受けた情報工作員だと解りやすいじゃないですか。
あなたの書き込みを少し見させて頂いたのですが、その会員らしい印象を受けたもので。
もしそうなら、あなたは完全にマルクス主義の情報工作員になりますが。
私「注釈の人」こと荒谷直人が身元を晒している以上、情報工作員なら「マルクスと創価学会」のタイトルで書き込まれては困るでしょうからね。
私は無神論者のマルクスの批判者なので、「マルクスの霊が取り付いて霊言として言っている」という類いの大川隆法のような利敵行為になる非現実的な批判はしません。
大川隆法の場合、第三者から見た時のマルクス主義の批判者全体の印象を誘導する事を目的としているだけに、こんなSFじみたマルクスの批判をする訳ですね。
他のマルクス主義の批判者も同じ批判をしていると印象付ける為にね。
念の為に、大川隆法の父が共産党だという事についての、あなたの感想を書いて下さいな。
これは、あなたがマルクス主義の情報工作員なら、どの部門に属するのかという確認でもありますけどね。
私の返事は少し遅れるかもしれませんが、お許し下さいな。
「注釈の人 洗脳方法」で検索して解る通り、基本は自分の立てたスレに書き込み、他のスレを周回しているもので。
ここも数ヶ月ぶりに確認しました。
色々な所に書き込んだ方が「マルクス主義にとって困る情報」の拡散効率が良いのですよ。
 
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2017年10月 5日(木)01時09分21秒
返信・引用
  自分のできる範囲で、自分がベストと考えることを実行していくしかないのかもしれません。
 

下記 人民食堂 移転先

 投稿者:ヤマ  投稿日:2017年 9月27日(水)04時19分27秒
返信・引用
  新人民食堂板を作りました   投稿者:まっぺん   投稿日:2014年 1月18日(土)14時17分38秒


   ここはそろそろいっぱいなので下記へ移動してください。
明日あたり凍結します。

http://6244.teacup.com/mappen2/bbs

 

下記 あさん

 投稿者:ヤマ  投稿日:2017年 9月27日(水)04時13分33秒
返信・引用
     あさんとこ

http://8233.teacup.com/osayoku3/bbs?

 

注釈の人 さんへ

 投稿者:ヤマ  投稿日:2017年 9月27日(水)01時22分8秒
返信・引用
  書き込み ありがとうございます。

現在この掲示板は管理者腑行き届けにて制御不能です。

主義を超えたならば、下記あさんと交流されることを望みます。
 

マルクス主義の告発者は、マルクス主義の息のかかった組織に嫌がらせをうける

 投稿者:注釈の人  投稿日:2017年 9月 9日(土)00時38分35秒
返信・引用 編集済
  私「注釈の人」こと荒谷直人の父、「荒谷浩」が下記のページで紹介されているフセインやカダフィらと友達だった中村百合子先生の弟子だったという証拠となる資料を公開します。

過ぎ去りし日々を
http://capira.exblog.jp/9070896/

こちらが1978年に尼崎総合文化センターで開かれた、中村百合子先生の主催する青実会の洋画展のパンフレットの一部です。
この一枚の写真だけで、父が中村百合子先生の弟子だったという証明になると思います。

https://www.fastpic.jp/images.php?file=8520403760.jpg

今より38年ほど前、この展覧会に作品を出展した人物の内、中村百合子先生の海外旅行に同行したのは私の父も含め5~6人ほど。
そこからも、父の立ち位置が当時の青実会の中でも特殊だと解ると思います。
この関連の情報拡散と告発が、私が創価学会などのマルクス主義の息のかかった関係者から嫌がらせを受ける理由です。
こちらは「フセインやカダフィと知古を結んだ」と書かれた北朝鮮系のページです。

中村百合子さんを悼む(朝鮮新報という北朝鮮の運営するHP)
http://korea-np.co.jp/sinboj2000/sinboj2000-10/1011/54.htm

この関連の告発者である私は、マルクス主義の関係者、創価学会のような宗教に偽装した組織や、朝鮮総連などマルクス主義の本体、偽装、問わず、あらゆるマルクス主義の息のかかった組織から嫌がらせを受けています。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2017年 8月 5日(土)01時43分30秒
返信・引用
    あさんとこ

http://8233.teacup.com/osayoku3/bbs?


仰山(猫)さんとこ

http://8243.teacup.com/tamo2/bbs


パンダさんとこ

http://8816.teacup.com/mappen/bbs

http://6244.teacup.com/mappen2/bbs

 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2017年 8月 5日(土)01時42分3秒
返信・引用
  http://6244.teacup.com/mappen2/bbs  

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2017年 8月 5日(土)01時21分28秒
返信・引用
     あさんとこ

http://8233.teacup.com/osayoku3/bbs?


仰山(猫)さんとこ

http://8243.teacup.com/tamo2/bbs


パンダさんとこ

http://8816.teacup.com/mappen/bbs

 

マルクス主義の粛清部隊としての創価学会、及びマルクス主義関係組織の情報

 投稿者:注釈の人  投稿日:2016年 7月 2日(土)14時31分49秒
返信・引用 編集済
  いつも他の掲示板にて、尼崎市内の尼崎総合医療センター前にある県営住宅の402号室から、マルクス主義関係組織の情報を書かせて頂いている、HN「注釈の人」こと荒谷直人と申します。
マルクス主義は現在、批判者に対しての粛清部隊として創価学会を使っています。
私のHNを調べて貰っても解る通り、私はカール・マルクスの批判者です。
そしてその粛清部隊として創価学会が使われています。
昨日もPM10時に寝たのですが、先程のAM1時30分に超音波のような騒音で下の302号室の創価学会員の人に起こされました。
相変わらずマルクス主義の上層部は、支配下の宗教を捨て駒にすればどんな非人道的な行為も誤魔化せると思っているようです。

最近、マルクス主義の上層部は私の流した情報に焦っているようで。
この前、久々に朝鮮新報に載ってあるはずの、私の実の父、荒谷浩の絵の師匠である中村百合子先生のページを確認したら削除されていたようです。
やはり、私の父の師匠がフセインやカダフィのお友達だと困るんでしょうね。
私自身が自身の個人情報を晒しているだけに。
これだけで15年前に私が「注釈の人」として、創価問題新聞の草の根掲示板や2ちゃんねるなどの各掲示板に書いた事の証明になりますので。
ここでもマルクス主義関係の人は監視を命じられてると思うので、マルクス主義の上層部に15年前と同じ質問をさせて頂きます。
私が5才ぐらいの頃、父はこの中村百合子先生と「絵の修行」と称して、その弟子としてフランスへの旅に同行しています。
他の弟子含めて5人ぐらいで。
その弟子の中には父の現在の再婚相手も含まれています。
(当時の名前は佐々木典子さんと言いましたかね。)
このフセインやカダフィに顔パスで会う事の出来た中村百合子先生という人物と父が何をしにフランスに行ったのか、教えて欲しいものです。
返事が返って来たとしても、情報操作の為の嘘で返すのでしょうけどね。

そういえば、この掲示板のレイアウトも創価問題新聞の草の根掲示板に似てますね。
あの掲示板は黄色でしたが、懐かしく思い、彼らの情報と、彼らに対しての質問を書かせて頂いています。
もっとも、こんな書き方だと質問も第三者にとってはマルクス主義関係組織の情報ですけどね。


 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月13日(金)02時16分27秒
返信・引用 編集済
  人間の未来について  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 9日(月)14時37分51秒

ここに言い尽くされているかも知れない。

人工知能が隆盛する近未来は、人間が人間に回帰する時代
「茂木健一郎」
http://ironna.jp/article/3253?p=1



 個性とは、人工知能に近い表現で言えば、生きる上での「資源」の配分戦略のことである。そして、注意や努力といった資源をどのように配分するかは、まさに人それぞれであり、どれが正解だとは一概には言えない。


 例えば、仕事に打ち込んで、会社での出世競争に勝とう、という方向に資源を配分する人も入れば、仕事はほどほどで、その分、余暇にエネルギーを注ぎたい、という人もいるだろう。それぞれの個性のどちらが生きる上で有利かということは、そう簡単には言えることではない。

 仕事はほどほどに、という人は、会社での出世はできなくても、趣味のサークルで知り合った人から、新しい仕事のヒントをもらうことがあるかもしれない。素敵なパートナーとの出会いもあるかもしれない。そもそも、仕事人間よりも幸福かもしれない。

 人生という「不完全情報ゲーム」(状況を判断するのに必要な情報が、完全には与えられていないゲーム)においては、一つの基準で、点数をつけることなどできない。

 人工知能の発達により、ある特定の基準で点数がつくようなことは、機械がやってくれるようになっていく。ペーパーテストで決まるような入試に合格する能力は、間違いなく陳腐化し、市場価値も下がる。一方、そう簡単に何が良いのかわからない「人生」という「不完全情報ゲーム」における「個性」の意味は、人工知能の時代だからこそ、ますます重要になる。

 結局、個性を磨くしかない。しかも、その場合の正解は一つではない。「みんな違ってみんないい」という命題が、心温まる「ちょっといい話」だけではなく、理論的な裏付けのある戦略論となる。
 ようこそ、正解のない、素晴らしい人生へ。人工知能が隆盛する近未来は、結局、人間が人間に回帰する時代なのだ。


>結局、個性を磨くしかない。

僕もそう思う。





茂木さんは結局何もいえてない  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月10日(火)04時53分8秒

例えば
茂木さんの研究対象には
知的障害をもつ人は対象になってない。
情緒に障害がある人は対象になってない。

<健康な>脳しか相手にしてない。

しかし、<健康>とは単にマージナル
によって定めるしかない。

できないのも個性
障害も個性である。

じゃあ、障害が利得になるだろうか。


頑張ろうといっているだけじゃないだろうか。

歴史は馬鹿のしでかしたことを常識人や
賢い人間がフォローする形ですすんでいる。
だから
事件なのであって
事故なのだ。
民主主義になるにしたがって
国家的なその割合は減っている。
馬鹿な組織とか
になっている。(テロとの戦争とは
その程度のことだ)

だから
馬鹿との付き合いは日常に降りてきている。
馬鹿を排除しないで
これからもやっていけるかどうかである。



あさんへ  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月13日(金)00時33分11秒

どう答えようか考えて見た。

障がいも個性と答えると・・・単なる美しい言葉(現実は?)に過ぎない。・・・となる。

昔の、「同情するなら金をだせ。」を思いだす。

対立が前提の究極の言葉であろう。

僕が言ってるのは、対立などなかろうと言っている。

これからの未来には。

つまり、能力差と言う言葉の次元が現在と異なることに他ならない。
また、なにを、能力と認めるかも問われよう。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月13日(金)02時11分7秒
返信・引用 編集済
  <h2 style="padding: 0px; margin: 0px; display: inline; color: rgb(0, 0, 0); font-family: 'MS Pゴシック', sans-serif; -webkit-text-size-adjust: auto;">
茂木さんは結局何もいえてない</h2>
投稿者:「あ」とよばれしもの 投稿日:2016年 5月10日(火)04時53分
8秒




<table border="0" cellpadding="1" cellspacing="2" width="100%">
<tbody>
<tr>
<td align="left" valign="top">
<tt>例えば
茂木さんの研究対象には
知的障害をもつ人は対象になってない。
情緒に障害がある人は対象になってない。

<健康な>脳しか相手にしてない。

しかし、<健康>とは単にマージナル
によって定めるしかない。

できないのも個性
障害も個性である。

じゃあ、障害が利得になるだろうか。


頑張ろうといっているだけじゃないだろうか。

歴史は馬鹿のしでかしたことを常識人や
賢い人間がフォローする形ですすんでいる。
だから
事件なのであって
事故なのだ。
民主主義になるにしたがって
国家的なその割合は減っている。
馬鹿な組織とか
になっている。(テロとの戦争とは
その程度のことだ)

だから
馬鹿との付き合いは日常に降りてきている。
馬鹿を排除しないで
これからもやっていけるかどうかである。
</tt>
</td>
</tr>
</tbody>
</table>

 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 6日(金)21時55分3秒
返信・引用
  あと宇宙の膨張はエントロピーでは説明できません。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 6日(金)06時55分10秒  

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 5日(木)23時50分46秒
返信・引用
  ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 5日(木)11時36分33秒

結論から言えば
進化論は何も言えてません。
ゾウは生き残り
ナマケモノは生き残り
シーラカンスは生き残り

つまり、<進化>は生き残りとは
無関係です。

ただ<そうなった>という事実
そして、それは生き物の機能の変化
ということは累積するだろうという
推論の確からしさを議論しているだけです。

結局、生命というものは生き残ろうとする。
そのプロセスの中に進化とよばれる事項も
繰り込まれているのだ。そして、生き物は
結局、つながりの中で生きているのであって
単体の変化が生存という事実に及ぼす影響は
少ないものだという事実です。

総体としての生命のあり方こそが本質です。
それは、社会構築的なのであって、進化しようと
して進化をしてもまったく無意味なことです。

そして、人間はこの総体としての生命に繰り込まれるので
はなく、脳が描いた社会的つながりの中に繰り込まれて生きて
いるわけですから、地球という生命の総体を食いつぶして
次の星へ行くのか、生命の総体に取り込まれて人間という存在を
やめるかのどちらかで中途半端はありません。

これは人間とは何か
生命とは何かを徹底的に考え抜けば誰でもが到達する結論です。

折角リンクしたのに見てなかったのですね。
人間が主体としての人間になった(脳にとって都合よい環境や
社会を生み出そうとする存在になった)とたんに加速度的に
人口は増えているです。この時点が人間が自然から乖離した
歴史的地点であり、それ以前にはもどりようもありません。

ヤマさんは将来役に立つから勉強しろというのですね。
間違っています。
じゃあ、病気の子供たち、難病の子供たちは
明日死んじゃうかもしれないから勉強しなくてよいという
ことになりますよね。

勉強は<今を生きる>ってことですよ。将来何て何も関係ありません。
むしろ
モラトリアム=学生時代という社会制度が<将来のために>と言わせている
だけです。

それは<選択の問題>に過ぎません。人生はいつもトレインスポッテング
ただそれだけです。

教育と将来は実は何の関係もありません。
関係づけたいのは、国家であり、社会です。
(一定の習慣を正しいこととして身に着けていれば、まとめて処理しやすい。
 一定の行事や言語を自分のものとして認識していれば、民族は成立する。)

これもまた人間は自然ではなく、社会に繰り込まれた存在であることの証拠です。
社(人間)会こそが正しい表記といえるでしょう。

安倍政権は教育には手をつけてません  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 5日(木)12時13分20秒

石原都政の方が為政者の恣意性が前面に出てましたよ。

しかし、
民主党政権下において教育の大転換が起こったせいで
与野党逆転してもその改革をすすめるしか行政には選択枝が
ないのです。
それは
<障害者権利条約の批准に向けて動いたのは民主党政権で、そ
の後、与野党逆転が起きたが、この政策課題については大きな
意見の相違はなかった。また、公明党はもっとも熱心に動いた
政党であり、自由民主党・公明党・民主党の党派を超えた協調で
批准されたということもできるだろう。>

なんのこっちゃわからないでしょうが。
簡単にいうと
障害は社会参加ができない理由になっているのは
国の責任だ。という条約に日本は批准したのです。

だから、普通学級に小児麻痺の子が勉強したいと申し込むと
拒否することができません。麻痺に対応できるように学校が
できるだけ工夫し、無理なことは無理ですと伝えることは
するけれど、その子が普通学級で学ぶことは学校側からは
阻止することはできません。

つまり、今までの<学級>も<学校>も実はいまや、ひっくり
かえっていて、今までの学級観が通用しなくなってます。
そんな事態に全国的になってないのは
日本人のもっている「いじめ体質」のせいです。
個の権利よりも全体の利益という志向は
全体の不利益になる個への配慮を除外しようとしたがります。
それが実は「いじめ」の本質です。学級という組織が安定するために
スクールカーストが自然発生するように、不安定こそ排除されている
対象なのです。
http://www.huffingtonpost.jp/hajime-yamada/post_6368_b_4410007.html

このような環境下において戦前的な修身など教えることは不可能です。
(法律違反になりますよ。滅私奉公なんて障害者はとびこんで死ねと解釈すべきことです
 から)
http://spotlight-media.jp/article/216407293497937576

そんなこんなで
安倍さんは教育には実はノータッチです。
というか
全くわかってないでしょ。あの人は…
https://www.kyobun.co.jp/news/20151222_03/


あと宇宙が膨張するということも理解してません。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 5日(木)13時52分46秒

半可通が一番問題だと思うんです。

実は宇宙の大きさは
<わかってない>
なぜなら今、宇宙の大きさといっているのは
地球から観測可能な範囲を表現しているだけだから。

宇宙全体の大きさについては 大きくなっている速度の変化から
予測するしかありません。

しかし、大間違いがあります。

宇宙が膨張してようと
それぞれの恒星系 惑星系で働いている物理系は
何も変わらないということです。

難しい言い方になりますが、
膨張しているのは空間であって中身じゃないんですね。
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0506/bb.html

いい加減な勉強は一番 迷惑かもしれません。
根気が足りない!
わからないものはわからないといい続けることが大事じゃないでしょうか。


認知についても誤解してます。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 5日(木)13時55分47秒

入ってきた知覚情報パターンを知っていることと比べているのが
認知です。

ただそれだけのことです。

知っているの中に「ことば」の構造が影響したり、ゲシュタルトが影響したりします。
つまり、脳が作り出す部分ですね。

わかるというのは単純に同じか違うか判断できるってことです。

進化=生き残りと考えるのは社会ダーウィニズムの影響  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 5日(木)14時03分31秒

生き残ったから
合理的なのだ。

社会的な言い訳にしたい。

強いものが生き残るのだ
だから
資本家は強大でいいのだ。
その方が生き残れるのだ。

これは進化論とはまったく
無縁の言説です。

しかし、一般的に進化論って
こういう扱いを受けています。

もう一度いいます。
進化と生き残りはまったく関係
ありません。
どんな進化をしても
それが環境や生態系にマッチして
なければ<自然選択>されてしまいます。

(どうして、中ぐらいのくびのキリンはいないのか
 という説明がなぜか、くびの長いキリンはくびが
 長いから生き延びたという理由付けになってしまうのだろう。)
(別に首が長くても生き残れない場合はいくらでもある。)
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 5日(木)23時33分13秒
返信・引用 編集済
  未来について語ることを予測というのでは?  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 5日(木)04時25分52秒

ヤマさん
ヤマさんのそういうところは
なかなか理解されないと思います。

人間に未来はありません。
(国語的な意味だとこの未来=希望のもてる明日という
 意味のニュアンスがありますね)

四苦八苦のやりくりしかありません。
類としては、もう限界を超えました。

現在、人口は73億人を超えてます。
http://www.arkot.com/jinkou/
マルサスの人口論が無意味だといわれるようになったのは
技術革新(文明の進歩)によって
食糧生産が増大可能になったからです。
(視点を変えればリソースの振り分けを変えれば食料問題は
 解決すると思えるようになった。)

しかし、リソースは有限だ。という当たり前のことは
解決してません。
だからこそ
乳幼児の死亡率が高い国は決まった国々ですし
文盲率も同じようなものです。

われわれはそうじゃないだけです。
それは、たまたまです。
だからこそ
人間の未来などという暢気な話題を口にできるのです。

このようなことから
人間の未来を語るような人間達に未来なんてないと
結論づけておきます。

何度もいいますが
自分の目の前のことが全てです。
ゴミが落ちていたら拾いましょう。


予測ではないとなぜ僕がいうのか  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 5日(木)07時04分9秒

現在と過去で充分未来を語れる。
現に、あさんも「未来は四苦八苦のやり繰り」と結論づけている。
恐らく、未来予測を沢山読んでいるのでしょう。
マルクスの「資本論」しかり。
マルクスの予測は最も資本主義の発達したイギリスから社会主義国家となるでした。
結果は、資本主義がマルクスを取り入れ資本主義の延命を果たし、個別に社会主義国家を築いた国家群の沈滞及び独裁化による崩壊でした。

そのような予測をしたいのではありません。

現在ある理論の中で、特に、(物理学・進化論・脳科学)がさし示す生命科学から未来を語りたいのです。

取り分け、進化論にてシュミレーションされる生き残り戦略。

そこから、結論づけられているもの。

簡単に言えば、宇宙は膨張を続けるから人間の形態では人間が生き残る環境自体が無くなる。

これは、予測ではなく結論(決定事項)です。

この結論(決定事項)は如何にという話です。

また、脳の認知とはなにか?

未来に於ける社会変革を語るのではなく、未来に於ける人間存在のあり方(予測ではない)を考えたい。

何故なら、そこにこそ、現在なされる子供たちへの教育の視点を見るからです。

安倍内閣による時代錯誤教育をどうにかしなきゃならんのじゃないですか?

どうでしょう。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 4日(水)22時31分20秒
返信・引用 編集済
  社会的コンセンサスは構成不可能  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 4日(水)07時26分11秒

ここでいう構成とは構成主義(社会構築主義のこと)である。

社会構築主義の焦点は、個人や集団がみずからの認知する現実の構築にどのように関与しているかを明らかにすることである。このため、さまざまな社会現象が人々によってどのように創造され、制度化され、慣習化していくかが問われることになる。社会的に構築された現実は、絶え間なく変化していく動的な過程として捉えられる。現実を人々が解釈し、認識するにつれて、現実そのものが再生産されるのである。


つまり、行為が標準になるのであって、標準にしたがった行為があるのではない。
語ることによって、語られる対象が社会的に存在するようになるのであって、
存在するだけでは、社会的には存在しないのと一緒である。

だから
ヤマさん。ここで語ることによって存在しうるものは
あくまでもヤマさんと私の間にだけです。
したがって
社会的コンセンサスにはなりえません。
だからこそ
マスコミやツイッターなどの流言化するメディアの方が
コンセンサスを作り出しているといえるでしょう。

こよく(こどもうよく)の人が朝日新聞を批判する
理屈は理屈たりえてませんが、批判の対象としては
彼らの立ち場からは、全く間違ってません。
(都合が悪いから黙れは理屈になってませんね。
その都合が一部の立場にとってでは、なおさらです。)

マズローを援用したのはまだよいとして  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 4日(水)07時42分3秒

自分の命は大切だ。と他人の命も大切だ。は直接的に
関係しません。

転んだら痛かった(自己の経験)
○○くんが転んだ。○○くんは痛いのだろう。(他者への類推)
ところが
○○くんはすぐ起きて、また、走り出しました。
転んだら痛いということは、○○くんにも私にも当てはまる
普遍的な判断だといえるでしょうか。

ここで賢い子が気づくのは、感じ方はみんな違うということで
痛いか、痛くないか、転んだらどうなるのかではありません。

つまり、大切さなんてものを当てにして理論は構築できないのです。
それはモットーです。(信念)

自分の命も蝿の命も同じように価値がないと考えたって別に
かまわない。

したいから分析したマズローはだから理論的にはつまづいている。
本当は
さけたい。逃げたい。から分析すべきである。

そうすると、欲求なんてものは二つしかない。

不安からの逃走。悲しみからの逃走だけである。

死ぬのが不安だから生きるのである。
体が成長してしまうのが不安だから
考え方も成長させようとするのである。

くびになるか不安になれば
誰もが働く。
自己実現なんてもののために
働くのはお門違いである。

マズローよりエリクソンの方が的を射ている  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 4日(水)07時46分19秒

詳細は「:en:Erikson's stages of psychosocial development」を参照

エリクソンの心理社会的発達理論


年齢

時期

導かれる要素

心理的課題[1]

主な関係性[2]

存在しうる質問[2][出典無効]

例[2]

0?1 歳 乳児期 希望 基本的信頼 vs. 不信  母親 世界を信じることは出来るか?  授乳
1?3 歳 幼児前期 意思 自律性  vs. 恥、疑惑 両親 私は私でよいのか? トイレトレーニング、                                 更衣の自律
3?6 歳 幼児後期 目的 積極性  vs. 罪悪感   家族 動き、移動し、行為を行ってよいか?
                       探検、道具の使用、芸術表現
6?11 歳 児童期 有能感 勤勉性  vs. 劣等感 地域、学校
             人々とものの存在する世界で自己成就できるか? 学校、スポーツ
11?19 歳 青年期 忠誠心 同一性 vs. 同一性の拡散 仲間、ロールモデル
                 私は誰か? 誰でいられるか? 社会的関係
20?39 歳 初期成年期 愛 親密性 vs. 孤独 友だち、パートナー 愛することが出来るか?
                 恋愛関係
40?64 歳 成年期 世話 生殖 vs. 自己吸収 家族、同僚
                 私は自分の人生をあてにできるか? 仕事、親の立場
65歳 - 成熟期 賢さ 自己統合 vs. 絶望 人類 私は私でいてよかったか?
                 人生の反響

そのことの実証が現在の「アメリカ大統領候補選挙」です。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 4日(水)10時32分56秒

これも予測や情報に対する
人々の行動によって起きている。

トランプがどんな人物で
どのような「政治的手腕」をもって
いるかということは全然関係ない。


「まさか」に対する態度だけが
この事態の原因であり、そうさせたのは
メディアの情報、口コミネットワークの体質である。

予測はこれと同じことだ。

ヤマさんは単に向こう岸で
おもしろそうとやっているつもりかもしれないが
どっぷり
こちら側です。おもしろいなんていってられるのは
他人事だからです。

日本で、福祉に携わりたいなら  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 4日(水)22時20分43秒

エリクソン・ピアジェ・フロイトは押さえておかなければならない。

予測は人口知能がやってしまいますよ。

予測ではありまでんよ。

僕があさんと語りたいのは。

「人間の将来について」です。



 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 3日(火)23時50分11秒
返信・引用
  雑記)日本経済が困っていると喜ぶのは不謹慎?  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 5月 2日(月)05時36分30秒 返

円高、株安だという。
円安、株高でウホウホだといっていたのは
そんなに前の話じゃない。

その株高は政府誘導のもの
(税金を使って行われたということ
正確には日銀だが、金を使うようになると
現金が足りなくなる。現金を刷ろう。を
現金を刷って、現金が余れば、使うだろう
に読み替えて市場に貨幣を投入した。この
裏づけになる経済活動が行われなければ
意味のないインフレーションになり、賃金
が上がらず、物価が上昇する。結果として
税金が減り、税金の使用の機会が増えると
いうことになる。)

アベノミクスのおかげで日本の経営は健全に
なっただろうか?
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/010.htm

アベノミクスは税収に影響してない。
消費税据え置きによって消費税収益が増えた。
法人税は軽減されたので、減った。
儲けた人がいっぱいいたはずなのに所得税は
馬なり上がりである。

なのに
東京オリンピックだの
防衛費の増加だの
金は出て行くばかりである。
安部はアンダーコントロールといったではないか。

しまいには、
また、アメリカに日本はアメリカから儲け過ぎている。
とこんどは貿易ではなく
為替で注目されている。

その金はどこへ行った。
タックスヘイブンか?

だから
富裕者優遇の経済政策は国家の台所には
得にならない。

しぼりとります。の宣言もむなしい限りである。

そういった意味で日本の貧乏人は
株価が下がり、円高になると微妙にうれしい。
(食い物や石油の値段が下がるからだ。)


うんうん  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 2日(月)23時21分10秒

そういう方向でお願いします。

あさん。

優先順位 No.1  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 3日(火)23時40分34秒

“自分の生命は全てに優先される。”

と仮定すれば、

“他者の生命も同等の価値がある。”

ことを認識する。

それは、自分と他者を同等に扱う第2の自己の存在を認めることと同値。

第2の自己を理性(社会性)と考えるならば、第1の自己に理性(社会性)はないのかとなる。

よって、マズローの欲求5段階説を受け入れられない。

何故なら、第1の自己に既に理性(社会性)がなければ、自己を優先するなる社会との対峙を前提とした認識には至らないからである。

マズローは自分の生命の安全を確かめた後、社会的欲求として親和性(集団の中へ)が発露されると考えている。

個と集団を切り離して結論づけたところに問題があろう。

で、あさんお示しの経済学であるが、どのような社会を目指すのかは個々の人間の立場が規定することを考慮に入れるならば、やはり、来るべき「人間の未来について」のコンセンサスがなければならないのではなかろうかと考える。

さあ、話しましょう。「人間の未来について」。

あさん。

 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 3日(火)23時43分22秒
返信・引用
  バランスが取れていると考えていいものやら?
(^-^)
 

優先順位 No.1

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 3日(火)22時57分50秒
返信・引用
  自分の生命の安全は全てに優先される。

問題は、自分とはなんぞやである。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 1日(日)03時16分45秒
返信・引用
  人間同士だって交信できているわけじゃないですよ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月30日(土)08時48分34秒

おおむねは
勘違いと
習慣で物事は進んでいきます。

だから
昨年度の資料とか
昨日はどうしたという
過去が必ず見直されます。

(記憶が人格だ。なんて話は
もうしなくてもいいですよね。
記憶障害は人格障害でもあります。)


それを
交信とよぶべきものでしょうか。
それを
交信とよべるなら
アメリカザリガニとも交信可能です。
そう信じて
生物学者は取り組んでいますよ。

ヤマさんへ
じゃあ
やっぱり
ヤマさんの将来が
人類の将来です。

実はもう予言されてます。
しかも
100%あたってると
誰もが認めるしかありません。

ケインズ 曰く
「長期的には我々は全て死んでいる」のです。
(これ有効需要は逓減するということを言ったもので
 なぜ、経済は発展しなければならないのかの答えです。
 今、死なないため、明日、生きているためには、発展
 して、需要=経済的総価値が目減りしないようにしない
 といけないわけです。)

で、こんなことも一般の大学を出た人たちは知りはしません。
それで、彼は主体といえますか。ザリガニでしょ。ザリガニは
ザリガニとして生きるだけです。それを活かしているのが社会
と文明です。
保育器の中の人類ということばが浮かびます。
育ちはするでしょうが
そこから出ることができなければ
成長しませんね。

人工知能は単に文明という文脈に属する事柄にすぎません。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月30日(土)09時03分7秒

だから
決して
地球温暖化を人工知能は解決できません。
だって
人類を殺さずにという前提を無視できませんから。

やりくりの可能性を示すことしかできません。
結局
便利の文脈上のお話です。

一人一人が手軽に情報を発信できるようになりました。
便利ですね。
しかし
その情報のほとんどが「他人から聞いた話」か
「自分についての話」に過ぎません。その上、たまに
批判じみたことを書き込むとたいていの場合、適切性
合理性、公平性に欠けています。ハイエクがいったとおり
農民は農民のパラダイスをパラダイスというに過ぎません。

強いて言えば
批判に敏感に反応するようになっただけです。
批判されないように行動しなくなったわけではありません。

招き猫のことを思い出します。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月30日(土)09時08分28秒


私は今でも思っています。
決して、主と奴の対立関係
が形成されてしまえば
昇華されえない。アウフヘーベン
不可能だと思います。)

そんな
彼が生きていけるのは
結局
社会のおかげです。
じゃあ
彼が
社会に何をしているのか
こそが問われなければならない
そこにだけ
価値(社会的)が存在するわけです。

あさんへ  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 5月 1日(日)00時07分24秒



その方針は塾を潰すよ・・・と

僕は、あさんに聞いてみた。

何が心配なのと。

あさんは言った。

ヤマさんがさ。


Now than in the past , the future than the present .






 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月29日(金)20時16分31秒
返信・引用
  頭のない もしくは 多頭の怪物  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月29日(金)10時44分0秒

混沌という怪物に
目鼻をつけたら
死んじゃったという故事があります。

人類の本質は混沌と意味の無い前進です。
ですから
総体として扱おうと扱わなかろうと
主体(何かを意図的に成し遂げようとする存在)たりえません。

だからこそ
アウシュビッツを生み出し
原子爆弾を生み出したんです。
(この二つこそ近代の到達点そのものなんです)


不可思議(人間が知りえないこと)に突き動かされて
結局、動いて死ぬか生き残るかするだけです。

そこには愛に満ちた決断も犠牲もありませんし、
そう思ってする行為は自己満足にすぎません。
(自己満足で十分なんです)

人類の未来を考えたいという人は
なぜ
アメリカザリガニの未来を考えようとしないのでしょう。

結局、
アメリカザリガニの生活なんて変わらない未来も過去も現在も
あったもんじゃない。ということでしょう。
どうして
人類だけそうじゃないといえるのでしょうか?
実際は、人類の八割程度はアメリカザリガニと同じだと思います。

したがって
少なくとも
ヤマさんがそんなこと考えることは大いなる時間の無駄づかいです。
全人類はおそらく無駄死にしかしません。
なら
やるべきことをやる生活を送るべきです。


主体か客体なのかは存外分からないのでは  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月29日(金)13時37分56秒


男と女の関係をみれば、男が主体と思えば思えるが、存外、女の手の内にあろう。

迷える荘子も嫌いではありません。
その混沌を生みだしたのは誰だろうという話しがあります。
建築家でもない、医者でもない、・・・わたし政治家であろう。と言うものです。

僕が未来を問うのは僕の為です。

ただ、興味がある。

それだけです。

アメリカザリガニだってアメリカザリガニなりに考えているはずです。

いかんせん、僕はアメリカザリガニと交信する術を持ち合わせていない。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月27日(水)21時14分43秒
返信・引用
  ヤマさんが考えているのは  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月27日(水)06時44分41秒

主体としの人間じゃないとは思います。
(つまり、偉大な人間が導くという物語や
 知性や理性によって状況を打破し発展していく物語の
 主人公としての「人間性」「理性」ではないということ)

端的に目に見える個体としての人間が
世の中を変える<はずだ>ということなんだと思うのです。

だがしかし、と私は言っているのです。

そのような個別の人間などいない。
網の目のように広がる情報と情報提供装置によって判断をコントロール
される存在
生産の道筋において定められた工程を行う存在
そして、自らの趣味性だけしか見つめない存在
社会の中の一個人しか存在しえないし
ヤマさんが設定している人間がいるとしたら
まさに
特権的に存在しているといえるわけで
むしろ
打ち倒すべき、批判されるべき対象として設定されざるをえない
でしょう。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月27日(水)21時09分15秒
返信・引用 編集済
  主体としての人間は  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月27日(水)06時08分26秒

近代に設定されたものです。

現代は全く機能していないと考えるべきです。

では、ポストモダンにおいて結局何が
(主体)=社会を形成するものと考えられているか
社会とは関係の総体のことですから
機械も道具も含まれることになります。
(そうですよね。マルクスさん。あなたが生産関係と
ことばにしたときには人間のつながり(分業)しか
考えてなかったにしても)
その結果、見出されたものが<欲動>と<情動>です。
人間ではなく、行為の結果としての数字が社会の指標になる。
○○する人が多いということが社会の基準(正しさではない)になる。

で、どんなにマクロにみたところで
ミクロである私は何も変わりません。
どうぞ、目の前のやれることをやるべきです。
知ることは
絶望も希望も同じものだということを知るだけです。
しなくちゃという情動
したいという欲動でつながるしか
ポストモダン以降は一般化しえません。


ヤマさんが考えているのは  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月27日(水)06時44分41秒

主体としの人間じゃないとは思います。
(つまり、偉大な人間が導くという物語や
 知性や理性によって状況を打破し発展していく物語の
 主人公としての「人間性」「理性」ではないということ)

端的に目に見える個体としての人間が
世の中を変える<はずだ>ということなんだと思うのです。

だがしかし、と私は言っているのです。

そのような個別の人間などいない。
網の目のように広がる情報と情報提供装置によって判断をコントロール
される存在
生産の道筋において定められた工程を行う存在
そして、自らの趣味性だけしか見つめない存在
社会の中の一個人しか存在しえないし
ヤマさんが設定している人間がいるとしたら
まさに
特権的に存在しているといえるわけで
むしろ
打ち倒すべき、批判されるべき対象として設定されざるをえない
でしょう。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月26日(火)19時20分8秒
返信・引用 編集済
  ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月26日(火)05時40分45秒

価値って結局、二つあるのです。
自分=個体・生体にとっての強度
社会によって段階化され道具化された定規としての価値

お前は価値がないという言い方はあきらかに
他者が言ってますから後者です。
だからこそ
文字通り
自由(○○からの)なのです。

価値があるとなると
特定のクオリティ、行動、発言を社会的に求められているわけです。
それは
一般的に不自由という状態ですね。

脳は勝手に情報を作り出してしまうほど<違い>を求める
生き物なので、これとの付き合い方も考えるべきでしょう。
(このごろ脳をだますという処方箋の書籍が売れてます)



ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月26日(火)05時57分3秒

こうなっているを語ることも知ることもできます。
それが
こうなるべきだ。
こうあるべきだ。
になってしまわないでしょうか?

その連結がいつも疑問になります。
知ることはすることではありません。


謎の歌

われ愚かにして知らざれば意(こころ)に問う、
これら秘められたる神々の足跡を。
詩人たちは成長したる子牛に七条の綱をかけたり、織らんがために。
われ理解せざれば、理解せる詩人たちにここに問う、
われ知らざれば、知らんがために。
これらの六空間を分かち支えたる不生者の形を取る、唯一物はそも何ぞ。
つれだつ友なる二羽の鷲は、同一の木を抱けり。
その一羽は甘き菩提樹の実を食らい、他の一羽は食らわずして注視す。
黒き道を、金色の鷲たちは水をまといて、天に向かって飛翔す。
彼らは天則の座より帰り来たれり。
そのとき実に地はグリタ(雨)によってうるおさる。

(『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫、辻直四郎訳より)抜粋

いったい「知」によってか
「智」によってかうるおされるのか。

智はできることによって築かなくてはいけない。
腹は目ほどには何でも入らない。
そうやって世界を知ることを求めることで
世界と乖離することになる。
(アメリカ大統領の悩みを考えて、隣人の腰痛に無関心というのは
どうだろう?)

そこで
世界はみんながつくっている。
それは、みんなが生きようとしているからだ。
だから
少なくとも今、生きている人すべてが
この世界に責任をもっている。
しかし
だから
どうすればいいのかは
誰も知らない。
世界を変えたかったから
あなたがしていないことを
すればよい。それが善きこと
であることを。


いいのがありました  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月26日(火)06時43分21秒

差異=違い→価値になるということは
ご理解いただけたと思いますが、
社会的価値が高低のメジャーになっている
ということも納得いきますよね。
だからこそ
<差別>が問題になる。
<差別>は個人的行為や感情ではなくて
むしろ
自分がどのような社会に帰属しているかという
無意識の自覚の問題なのです。

それがわかるいいものがありました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160419-00113897-toyo-bus_all&p=1

黒人も白人もみんな外国人にすぎない日本人には
「そういう考えもあるかあ」ですが
外国人と日本人で同じように撮影するとどうなんでしょう。
案外そういうもんだなあとなるんじゃないでしょうか。
(これは日本人があいての意向を認める癖を社会的に身に付けているせいです
 だめだと思ったら主張しないと、承認されるという社会制度をもっていない
 ので、ことばで言わないけど、顔を見て察してねと思うわけです。それも
 相手任せの自分の手を汚さない子どもじみた方法ですけどね。)
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月26日(火)00時14分20秒
返信・引用
  あさんへ  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月26日(火)00時11分59秒

下記事項2件ご確認頂いた後、

主体を「人間」に限定する訳には参りませんか?

主体を「人間」に限定し、しかる後、「人気の未来について」第1章現在の世界情勢・・・に進めないものでしょうか?

オバマ、アメリカ大統領の広島訪問も決まり、プーチン、ロシア大統領との北方領土を含めた日露関係に進展が見られます。(アメリカ→プロテスタント・ロシア→正教&カトリックと正教の表面上の和解?等、大きく地殻変動が起きています。また、アメリカ大統領選に露呈している格差の深刻化・・・等々、そして、人工知能の三度目の進化。)

話題は尽きません。

どうでしょうか。

あさん。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)22時34分53秒
返信・引用 編集済
  人間の価値・強度・・・そして・・・感動

価値  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)04時03分36秒

価値を決めるのは人間。

数字が価値になるのではない。

人間が数字に価値を見出すだけ。

人間は“感動”を求める。

数字が感動すると言ってる様に聞こえますよ。

あさん。


ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月25日(月)06時53分16秒


ヤマさんのは<いつも>
そうあって欲しいというお気持ちであって、
事実としてそうなっているという指摘ではありません。

統計学的に
感動などというものを求めて人間は行動してません。
快ならまだ理解可能です。
なぜなら、それは脳の中の特定回路が興奮すること
だからです。
ヤマさんの考えが普遍的なら
覚せい剤に手を出す人間がいるはずはないという
ことになります。
覚せい剤がもたらすのは、感覚的変化であって
感動ではありません。
(感動=生き方を変えるほどの心の動きとするなら)

戦争に感動がありますか。
殺人に感動がありますか。
窃盗に感動がありますか。
詐欺に感動がありますか。

そこに価値があるから
それを行う人がいるのですか。
それは、<数字>に示すことができませんか。
そして、単にそれは<利得><利益>と呼べるものでは
ありませんか。


人間は感動を求めない。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月25日(月)07時00分24秒

求めるのは<強度>にすぎません。

>強度とは,感覚されうるものの理由としての,差異の形式である

脳は違いの検知器と考えられます。
だから
違いを求めるのです。

中途半端に 希望を見出すことは
結局、 何もしないことを容認することと
一緒です。

お前には価値がない。
ゆえに
お前は自由である。

その逆説を生きることが
生きることそのものです。

そこには感動もありません。
ただそうなのだという認識です。

ヤマさんは最後まで、<いい人>でありつづけようとして
<いてもいなくてもいい人、どうでもいい人>になってしまいます。


0から1への飛躍=強度  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月25日(月)07時02分53秒

数字で十分です。
数字にはならないと考える方が傲慢です。

数字にしていって
数字にならないもの(無理数や無限というもの)が
初めて認識できるのです。

感動とは
0が1になる瞬間ですよ。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)22時25分37秒
返信・引用 編集済
  あさんの確認を頂きたい事項2つ

その①

お前には価値がない。
ゆえに
お前は自由である。

その逆説を生きることが
生きることそのものです


この逆は


お前には価値がある。
ゆえに
お前は不自由である。

その順接を生きることが
死ぬることそのものです。


こんな感じか・・・?


また

その②


ヤマさんは最後まで、<いい人>でありつづけようとして
<いてもいなくてもいい人、どうでもいい人>になってしまいます。


これは、茂木さんも言っている・・・と思う。


脳なんでも相談室。アーティストが、十分認められ、有名になってしまうと、とたんにあまり好きではなくなってしまう

2016/04/25 06:05
ko-plus さん

おうかがいします。例えば、熱狂的にあるアーティストを応援していたのに、そのアーティストが、十分認められ、有名になってしまうと、とたんにあまり好きではなくなってしまう…という経験がありますが、脳の仕組みと何か関係があるのでしょうか?(40代男性)

ご回答。

ko-plus さんは、素敵な方ですね。普通は、逆だと思います。挑戦する、その姿勢がお好きなのでしょう。その姿勢をさらに進めていくと、ブレイクもしない、成功もしない、無名である、しかし挑戦している、という人を応援したくなるのではないでしょうか。それは素晴らしいことです。


>ブレイクもしない、成功もしない、無名である、しかし挑戦している、という人

同じか?
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)22時19分12秒
返信・引用
  価値  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)04時03分36秒

価値を決めるのは人間。

数字が価値になるのではない。

人間が数字に価値を見出すだけ。

人間は“感動”を求める。

数字が感動すると言ってる様に聞こえますよ。

あさん。


ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月25日(月)06時53分16秒


ヤマさんのは<いつも>
そうあって欲しいというお気持ちであって、
事実としてそうなっているという指摘ではありません。

統計学的に
感動などというものを求めて人間は行動してません。
快ならまだ理解可能です。
なぜなら、それは脳の中の特定回路が興奮すること
だからです。
ヤマさんの考えが普遍的なら
覚せい剤に手を出す人間がいるはずはないという
ことになります。
覚せい剤がもたらすのは、感覚的変化であって
感動ではありません。
(感動=生き方を変えるほどの心の動きとするなら)

戦争に感動がありますか。
殺人に感動がありますか。
窃盗に感動がありますか。
詐欺に感動がありますか。

そこに価値があるから
それを行う人がいるのですか。
それは、<数字>に示すことができませんか。
そして、単にそれは<利得><利益>と呼べるものでは
ありませんか。


人間は感動を求めない。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月25日(月)07時00分24秒

求めるのは<強度>にすぎません。

>強度とは,感覚されうるものの理由としての,差異の形式である

脳は違いの検知器と考えられます。
だから
違いを求めるのです。

中途半端に 希望を見出すことは
結局、 何もしないことを容認することと
一緒です。

お前には価値がない。
ゆえに
お前は自由である。

その逆説を生きることが
生きることそのものです。

そこには感動もありません。
ただそうなのだという認識です。

ヤマさんは最後まで、<いい人>でありつづけようとして
<いてもいなくてもいい人、どうでもいい人>になってしまいます。


0から1への飛躍=強度  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月25日(月)07時02分53秒

数字で十分です。
数字にはならないと考える方が傲慢です。

数字にしていって
数字にならないもの(無理数や無限というもの)が
初めて認識できるのです。

感動とは
0が1になる瞬間ですよ。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)22時13分0秒
返信・引用
  0から1への飛躍=強度  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月25日(月)07時02分53秒

数字で十分です。
数字にはならないと考える方が傲慢です。

数字にしていって
数字にならないもの(無理数や無限というもの)が
初めて認識できるのです。

感動とは
0が1になる瞬間ですよ。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)22時11分17秒
返信・引用
  人間は感動を求めない。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月25日(月)07時00分24秒

求めるのは<強度>にすぎません。

>強度とは,感覚されうるものの理由としての,差異の形式である

脳は違いの検知器と考えられます。
だから
違いを求めるのです。

中途半端に 希望を見出すことは
結局、 何もしないことを容認することと
一緒です。

お前には価値がない。
ゆえに
お前は自由である。

その逆説を生きることが
生きることそのものです。

そこには感動もありません。
ただそうなのだという認識です。

ヤマさんは最後まで、<いい人>でありつづけようとして
<いてもいなくてもいい人、どうでもいい人>になってしまいます。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)22時08分50秒
返信・引用
  ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月25日(月)06時53分16秒


ヤマさんのは<いつも>
そうあって欲しいというお気持ちであって、
事実としてそうなっているという指摘ではありません。

統計学的に
感動などというものを求めて人間は行動してません。
快ならまだ理解可能です。
なぜなら、それは脳の中の特定回路が興奮すること
だからです。
ヤマさんの考えが普遍的なら
覚せい剤に手を出す人間がいるはずはないという
ことになります。
覚せい剤がもたらすのは、感覚的変化であって
感動ではありません。
(感動=生き方を変えるほどの心の動きとするなら)

戦争に感動がありますか。
殺人に感動がありますか。
窃盗に感動がありますか。
詐欺に感動がありますか。

そこに価値があるから
それを行う人がいるのですか。
それは、<数字>に示すことができませんか。
そして、単にそれは<利得><利益>と呼べるものでは
ありませんか。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)22時05分0秒
返信・引用 編集済
  価値  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月25日(月)04時03分36秒

価値を決めるのは人間。

数字が価値になるのではない。

人間が数字に価値を見出すだけ。

人間は“感動”を求める。

数字が感動すると言ってる様に聞こえますよ。

あさん。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月22日(金)03時05分26秒
返信・引用
  だから長期的に、日本は

①天皇制廃止

天皇個人の人権の問題としての天皇解放論

②相続税100%

生まれながらの貧富の差を是正

③親権の制限

子供は社会がそだてる。

④ベーシックインカム導入

生存権の確立

が、なければならない。

そして、

⑤軍事力は放棄し、国際救助国家宣言・・・日本国を解体し、国連直轄国とする。

世界連邦構想

ここまでやらなければ・・・いけない。

注)原子力開発及び宇宙開発推進を国是とす。

結局、人類は地球のみに依存しない体制の構築が急務、今から始めても遅い位ではあるが、まだ、間に合う可能性を予見する。
それ位、地球の環境が人類にとって不都合な状況になってしまったことを認識しておかなければならない。
それが、人類以外の生命体を維持する処方箋となり、人類が未来に生き残る術と言える。

今からでも遅い位ではなかろうかと 考えられる
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月20日(水)00時41分5秒
返信・引用
  ヤマさんは  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月19日(火)06時51分54秒

誰にが同じくらい無価値で
経済成長のために食い物にされ
電子レンジで遺体を処理され
(それでもまし)
何なら
食糧生産工場で肥料として
<再利用>される。

それもまた
ヤマさんが想定している事柄を満たしている
社会ですよ。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月19日(火)04時19分0秒
返信・引用
  実に簡単な話です。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月19日(火)03時42分34秒


人間に価値がなくなる。
数字だけが価値になる。
ただ
それだけです。

デジタル化という言葉をほとんどの人が
最新の情報機器を使いこなせる
という意味にしてしまいましたが、
これ本当は「数字でものを考える」という
ことです。
「味、余韻、情感、ニュアンスそういったものは
とりあえず、横において数字に着目して事態を
捉えたり、整理したりする」
一方、アナログは量感思考ですから
量的につまり、比べて多い少ないという見方です。
他人より多い、俺は優れているという考え方は
アナログ思考です。そのクラスができがいいのか
わるいのかを考えてません。クラス(数学的な用語での)
思考といっていいかもしれません。

人工知能は確かに言語的考え方をしますが、それは
数理化された言語であって、自然言語ではありません。
むしろ、近代化によって言語が数理化されてきたこと
によって、コンピューターが社会的に機能するように
なったというべきでしょう。

だから、単純に数字がものをいう社会になり
投資や投機で金儲けをすることが当たり前になり
その資本を有効に運用し、確実に経済成長する
(つまりは、誰を食い物にするか実に単純に
そして、効率よく決められていくということです。)


ただ、それだけのことです。
今だって、生きているのではなく
生かされているだけの人はたくさんいます。
それでも
生きていたいと思って生きているわけです。
それらの人が生きられているのは
残念ながら
今の社会システムのおかげです。

人工知能の性能が上がっても
同じことです。
(頭のいい人がたくさんいれば、世の中はよくなりましたか?
人工知能はデーターで処理するだけなので、データー化されない
ものは存在しないことになりますよね。)

人工知能はたとえば頻度を正確に把握して処理します。
何を何回する傾向にあるか。を機械的に測定して
頻度の高い選択にもとづいて
予測するわけです。(人間なんてそれぐらいなものですよ
ヤマさん)ところが、ほとんどの場合、それで十分なのです。
それで便利、幸福と感じるのです。動物園や牧場の動物と
今の人間はさして変わりません。

つまり、システムをつくっているはずの人間なんて
システムができあがってしまえば、むしろ、システムの一部に
すぎないのです。

政治家ですから
金は要りませんという人はいません。
(ひとりだけいましたが、私もそうしますという人はでてきませんね。)
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月18日(月)10時13分21秒
返信・引用
  追記  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月18日(月)06時09分53秒

「誰もが同じように生きられて、条件を合わすことのできる社会」そんな社会がやって来る予感があります。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月18日(月)10時11分50秒
返信・引用
  あさんへ  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月18日(月)05時55分28秒


この一ヶ月半ありがとうございます。
今週には退院します。・・・左膝骨折で入院してます。
かなり腰を落としてお話しできて結構すっきりしています。

退院したら囲碁のイベント(囲碁の普及を目的とした)をやります。
囲碁を通して“來たる未来”に適応できる人材のフォロー、あるいは、未来を切り開ける人材を見出して見たくわくわくしています。

あさんと対話させて頂くことで僕が何を考えようとしているのかが鮮明になり、決意(覚悟と言うのはおこがましく感じますので)も新たに強固になります。

今後とも宜しくお願い申し上げます。


で、未来の話しなんとかあさんの描く世界を少しでも垣間見たいのですが・・・なんとかなりません?
社会システムの切り口でお願いしたかったのですが・・・。

どうでしょう。




 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月18日(月)10時04分19秒
返信・引用
  ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月17日(日)19時19分3秒

そんなこと無駄です。

結局、この世界は「誰もが生きようとする」ことによって
構造化されているのです。誰もが生きようとするから
富の集中が起こり貧しい人々が生まれます。

条件にあった人だけ生きることにしようとするか
誰もが同じように生きることを強制するか
この二つしか対応策はないはずです。

どちらについても私は反対です。
したがって
現状のシステムはとりあえず「仕方ない」とするしかありません。
そうではなく
目の前の事実につながること
目の前の事実を変えることは誰にだってできるはずです。

私が良心こそがヤマさんのテーマなはずだといったのは
そういうことです。

そうする人がいます。
そうしない人がいます。
けれど
あなたはどちらかですかと
問われれば、
はっきりと答えなければならない
あるいは
答えをもってなければならないはずです。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月18日(月)10時00分2秒
返信・引用
  あさんへ  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月17日(日)18時36分34秒


ヤマさんのもやもやの本質は
「良心とは何か。良心のない人間はいるのか。良心のない人間は人間なのか。
 組織に良心はあるのか。」ということです。


良心
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%BF%83

良心には、「良い良心」と「邪悪な良心」があるそうである。
社会的に適応する場合は「邪悪な良心」をいかに適応させるかにある。
例えば、人を殺してみたいという欲求を現実的に行動に移せない場合、適応機制が働く。
その働き方は人それぞれだし、同じ人間でも環境によってその表れ方はまちまちであろう。

適応機制の種類をここで上げる必要はなかろう。

あさん、個人の良心ではなく、取り敢えず、社会のシステムでいきませんか?

で、見学者さんのまとめを受け入れて次の段階に入れますか?

まずはアメリカの現状認識からですが・・・
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月18日(月)09時56分52秒
返信・引用
  困った人間の性  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月14日(木)06時23分30秒

あいつと自分という二分法のように
人間に線引きをする傾向があることです。

良心の種類によっては

あいつに利することは
味方を裏切ることだという考えがあります。

一方で
よい行いは相手が誰であってもよい。という考えがあります。

一方は
人間を線引きするのは仕方ない。
一方は
行為に価値があると考える考え方です。

前者をわれわれは「道徳」と呼びます。
多くの卑劣な行動は「道徳的」なのです。

今、学校で扱おうとしているのは「道徳」と
日本語で表記されますが、その本質は
「モラル」「エチック」であり、本来は「倫理」
とよばれるべきものです。しかし、倫理というと
なんだそれは、君に忠義、親に孝行の何が悪いと
いう御仁がいるのでこうなっているだけです。

結局は
行動と責任の関係をしっかり考えるための時間です。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月18日(月)09時52分28秒
返信・引用
  ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月13日(水)05時43分22秒

悪い癖が始まってます。

話を大きくして結局、○○が悪いんですよね。
やっぱり。にしてしまうつもりですか。


もっと単純な話です。
ヤマさんのもやもやの本質は
「良心とは何か。良心のない人間はいるのか。良心のない人間は人間なのか。
 組織に良心はあるのか。」ということです。

ごっこあそびは、どんなのがいいのだろう。ではありません。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月12日(火)01時16分54秒
返信・引用
  あまり面白いので  投稿者:見学者  投稿日:2016年 4月10日(日)20時06分21秒

おとなしくしていようと思っているのですが、たまらずコメントします。

>省略
・・・シンプルに的を射ています。

見学者さんへ  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月11日(月)00時01分1秒

蓋然性まで否定されちゃいました。

しかし、ここをなんとか通り抜けない(一応でもいいから、あさんとなんらかの合意を取り付けない)と本題の「人間の未来」に入れない。

なんとするなら、人工知能が描き出す未来図に於ける人間の果たす役割を考えるのにここの合意がないと、単に、「人間の役割は人工知能が想定し得ない問題を人工知能に解かせる存在」で終わってしまい世の流れのなすがままに推移して行くと思われるのです。

まず、「所有」の概念は「共有」の概念にとって変わります。
しかしながら、それを実行するには、『誰から先に「使用」するのか』?という問題が生じます。
この辺りから人間の未来図を想定してみたいのですが・・・。

どうでしょう。


ヤマさんへ  投稿者:見学者  投稿日:2016年 4月11日(月)18時47分10秒

私の書き込み(と言えるほどのものじゃあないですが(笑))をどのように使われても一向にかまいません。

ついでですから、偶然と必然について、飛び入り意見です。
すべては必然と言ってもいいし、すべては偶然ということも可能です。偶然と必然の考察は『神』の考察と同じです。

神の存在を認めるなら、すべては(あらゆる『法則』から『すべての成り立ち』まで)神による必然です。・・・・・と、普通は、そのように神を定義します。原始宗教の神はもっと人間臭くって違う側面も持っているようですが。

神に縋らないで万物の仕様や法則を紐解いていくと、すべては偶然です。法則さえ偶然にできたものです。物事が  @そうある@  事の理由は偶然に決まったわけです。もしそのことを否定するなら法則性が存在すること自体の説明が詭弁になります。

『物』や『物事』は例外なく厳密に  @決まった通り@ に変化し進行します。不確定性までもが決まった法則性のなかからは逸脱しません。・・・・という考えで科学は築かれています。そこが『神と科学は親和性を持たない』所以です。

蓋然性はもろもろの条件が勘案しつくせないレベルでそれでもその事象?が出現する可能性をアバウトな統計上の数値に置いただけのものです。もろもろの条件を精査することが可能なら『蓋然性』は、もっと違う何か適切な言葉に置き換えられるでしょう。

神の存在を信じるのも否定するのも、それはどちらも可能です。面白いのは神の存在を信じる人は、本当は神による必然の事態を、ひっくり返して『神による偶然』と言い、逆に偶然の結果による唯物論的な現象を『必然』と言ってしまうことでしょう。

宇宙はどうして出来たのか? たまたま出来たのか、はたまた、神が作ったのか?つまり、偶然か?必然か?・・・・というわけじゃあないでしょうか(笑)


 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月11日(月)14時24分30秒
返信・引用
  ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 8日(金)04時31分2秒

それは不可思議といっているのとおんなじで
なるべくしてなったというものじゃありません。

事件は起こってしまえば
不可逆であり
一度起こった世界では
二度起こっても意味が違います。
つまり
生命が存在する世界では
生命が偶然誕生するという事件は
二度は起こらないと考えた方がいいのです。

偶然は偶然
そこには法則も原理もありません。
複雑怪奇というよりは
不可思議なんです。
1 常識では考えられないこと。考え及ばないこと。異様なこと。また、そのさま。「―な現象」
2 人間の認識・理解の限界を超えていること。また、そのさま。仏の智慧・神通力などの形容に用いる。不思議。「―な功徳(くどく)」「―力(りき)」
3 数の単位。10の64乗。一説に10の80乗。→位(くらい)[表]


蓋然性はあった  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 8日(金)04時39分40秒

では?


ヤマさんへ蓋然性とは便利なことばです  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 9日(土)06時41分51秒

でも
何にもいえてません。

確率的な事柄=偶然
しかし
確率というものはきちんと数字で割合を表さなければなりません。
つまり
考えられる場合の数によって決まるのです。

けれども
それも数学的な演算過程にすぎません。つまり、形式です。
現実ではありません。さいころの目はルールによって決められている
だから、確率が使える。
しかし、
交通事故の確率は単に事故全体を使って事故の種類件数を割ったもので
あり、確率ではなく単なる割合です。

蓋然性ということばは、単に世の中偶然でできてるということを
なんとなく数理的なニュアンスにしただけのことです。
ある事柄が起こる確実性や、ある事柄が真実として認められる確実性の度合い。確からしさ。これを数量化したものが確率。「―の乏しい推測」
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 8日(金)17時57分15秒
返信・引用
  http://blog.goo.ne.jp/igoshiraishi/e/c08fd469ab88c173c69723a7c3ded217  

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 8日(金)06時56分8秒
返信・引用 編集済
  ヤマさんへ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 8日(金)04時31分2秒

それは不可思議といっているのとおんなじで
なるべくしてなったというものじゃありません。

事件は起こってしまえば
不可逆であり
一度起こった世界では
二度起こっても意味が違います。
つまり
生命が存在する世界では
生命が偶然誕生するという事件は
二度は起こらないと考えた方がいいのです。

偶然は偶然
そこには法則も原理もありません。
複雑怪奇というよりは
不可思議なんです。
1 常識では考えられないこと。考え及ばないこと。異様なこと。また、そのさま。「―な現象」
2 人間の認識・理解の限界を超えていること。また、そのさま。仏の智慧・神通力などの形容に用いる。不思議。「―な功徳(くどく)」「―力(りき)」
3 数の単位。10の64乗。一説に10の80乗。→位(くらい)[表]

蓋然性はあった  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 8日(金)04時39分

では?
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 7日(木)03時46分34秒
返信・引用 編集済
  その偶然が必然だった  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 6日(水)22時17分6秒

と言えませんかね。

アンリ・ポアンカレ

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AC


>「事実の選択、偶然」『寺田寅彦全集文学篇第9巻』寺田寅彦訳 岩波書店、1986年4月(原著1951年)


ディテール・プロバビリテイ・モンタージューー寺田寅彦の偶然論諸相ーー

http://p.booklog.jp/book/79497

http://p.booklog.jp/book/79497/read


 寺田偶然論を具体的に検討する前に、寺田にとって特権的な固有名に一瞥を与えておく。それは、いち早くカオス的挙動に注目したフランスの数学者であるアンリ・ポアンカレだ。ポアンカレは三個の天体が互いの重力で運動する場合の解が混沌となってしまうことから、運動が無秩序化するカオス状態の存在を唱えていた。寺田は大正四年の『東洋学芸雑誌』に二回分ポアンカレの主著である『科学と方法』の中から抄訳して「事実の選択」(二月)と「偶然」(七月)を載せている。この翻訳は、寺田が長い間師事していた夏目漱石の未完の大作『明暗』中の一エピソードにも活かされている。


夏目漱石『明暗』

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/782_14969.html


彼の頭は彼の乗っている電車のように、自分自身の軌道レールの上を走って前へ進むだけであった。彼は二三日にさんち前ある友達から聞いたポアンカレーの話を思い出した。彼のために「偶然」の意味を説明してくれたその友達は彼に向ってこう云った。
「だから君、普通世間で偶然だ偶然だという、いわゆる偶然の出来事というのは、ポアンカレーの説によると、原因があまりに複雑過ぎてちょっと見当がつかない時に云うのだね。ナポレオンが生れるためには或特別の卵と或特別の精虫の配合が必要で、その必要な配合が出来得るためには、またどんな条件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど想像がつかないだろう」
 彼は友達の言葉を、単に与えられた新らしい知識の断片として聞き流す訳に行かなかった。彼はそれをぴたりと自分の身の上に当あて篏はめて考えた。すると暗い不可思議な力が右に行くべき彼を左に押しやったり、前に進むべき彼を後うしろに引き戻したりするように思えた。しかも彼はついぞ今まで自分の行動について他ひとから牽制けんせいを受けた覚おぼえがなかった。する事はみんな自分の力でし、言う事はことごとく自分の力で言ったに相違なかった。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 7日(木)03時16分21秒
返信・引用 編集済
  環境(条件)を変えたらダメでしょ  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 5日(火)22時02分3秒

完全殺菌などという条件をつければ既に条件は違う(揃っていない)じゃないですか。

条件(縁)が(に)揃えば(触れれば)でしょうに、・・・。ぷんぷん。

ごっこでいいんじゃない?  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 6日(水)01時02分5秒

色だって脳が創る“ごっこ”でしょうに。


河村正二先生の研究室に行ってみた!(文=川端裕人、写真=内海裕之)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/16/012700001/?ST=m_labo


食い合いに楽しいは存在しない  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 6日(水)06時03分7秒

結局、学会は人間の内だけ楽しもうぜといってるだけじゃないですか。
原始宗教より酷い。
現世主義です。
そんな学会の宗教観は
だから
日本における悟った人の行動
今の楽しむ心と慈悲を信じる心で
今を支え続けるということです。
で、それで黒人奴隷は解放されますか?
人種差別は否定できますか?
身内主義の道徳にすぎないのではないですか?

というわけで
創価学会の「ごっこ」には数がそろえば
社会を作れるという単純なルールが明記されて
いない時点でうさんくさいと思うのです。
学会の根本は帰依です。それ以外ありません。

条件がそろえばといったのはヤマさんです。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 6日(水)06時06分49秒


条件が実はこれっぽっちもわかってないのです。

結局、
たまたま、たまたまの連続です。
それを条件がそろったらなんてことばに置き換えるのは
正しくないと私は思ってます。

帰依じゃない折伏ですよ  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 6日(水)06時22分30秒

創価学会の目的は。

学会員を増やす、その一点ですよ。

堂々と「王仏冥合」と言えた時代もあった。

まあ、創価学会は横へ置いときましょうよ。

ねえ、・・・あさん。

たまたま条件が揃った  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 6日(水)07時04分19秒

で、どうです。

チンパンジーのタイプライターと同じですよ。  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 6日(水)21時41分35秒

その文が正しい英語であることは
完全に確率的です。

つまり、必然ではなく、偶然です。

ですから、その言い換えであっても
生命は必然だとはいかないですね。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 7日(木)02時41分41秒
返信・引用 編集済
  あさんなの・・・?  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 5日(火)19時07分40秒

こ、これは何かの戦略なのか?(ーー;)

・・・通俗?

まあ、いっか。(^^)

①悟る→道理に叶う

       例)牛の肉を切り離すとき肉と肉の隙間に包丁を入れるだけ。
            無理なく「楽」に切り離せる。

☆ 悟れば「楽」

②生命は必然

条件が揃えば、地球型生命体は宇宙のどこでも顕在化する。

生命(因)→環境(縁)→生命の顕在化(果)


通俗?

あさん、なんの実験なの?

先へ進みましょうよ。(^^)

ヤマさんがごっこに逃げようとしているからですよ  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 5日(火)19時53分9秒

悟り(覚者)であるとこは救済を意味しません。
というよりも
救済という考え(イデオロギー)はキリスト教の
考えです。最後の審判が用意されているが前提の
考えです。

仏教的には<解脱>ですよね。
ところが
この解脱=自死に他なりません。

ヤマさんは自分にとって都合のいい幻を
追い求めているだけです。

科学的な間違いを  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 5日(火)20時00分33秒

条件がそろえば発生するはずだ。

残念ながら間違っています。

煮沸したアミノ酸液を
完全滅菌した封入フラスコに入れても
生命は発生しません。


つまり、単純な物理現象として生命現象の起源を
説明することは実は不可能なのです。
といっても
神を持ち出す必要はなく
たまたま発生した生命というものが
なんだかんだで伝播しつづけていると考えちゃった方が正しい
気がします。

創価学会の「幸福論」キリスト教の「幸福論」
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/bukkyokirisuto10.htm

はじめ仏教は、「輪廻の世界からの解脱」を求めました。輪廻の世界は、すべて「苦しみ」であるとして、
「二度とこの世に戻ってくるな」(スッタ・ニパータ)と原始仏教は教えました。
輪廻の世界から脱出することが、目指されたのです。

   ところが創価学会では、"楽しい輪廻生活"を送ることが目指されるように、変わったわけです。


>"楽しい輪廻生活"

この言い回しは少しカチンとはきますが・・・

あさんへ
この辺で先へ進みましょうよ。

僕は創価学会員でないことは明言しておきますが、宗教観は創価学会員と同じです。
創価学会の組織としての行動は批判の対象です。

茂木さんもこのように言ってます。・・・僕も同感です。
システムと個人
http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/2326975.html?t=1

ですから、この辺りで・・・どうでしょう?

環境(条件)を変えたらダメでしょ  投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 5日(火)22時02分3秒

完全殺菌などという条件をつければ既に条件は違う(揃っていない)じゃないですか。

条件(縁)が(に)揃えば(触れれば)でしょうに、・・・。ぷんぷん。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 7日(木)02時31分23秒
返信・引用
  じゃあ日本でどうも悟ったらしいと思う人は  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 5日(火)06時53分40秒

なぜ
踊り念仏など
今の中に喜びを
目に見えぬ仏の慈悲にすがりつけ
という方向になるのでしょう?

自力本願は政治なんですよ。

悟ってみれば
人間という存在の変さにいきあたる。

自然に知性は必然じゃないのです。
どうしても
必然という解は見出せない。
なぜなら
生命も必然ではないからです。
 

(無題)

 投稿者:ヤマ  投稿日:2016年 4月 7日(木)02時27分19秒
返信・引用 編集済
  じゃあ日本でどうも悟ったらしいと思う人は  投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2016年 4月 5日(火)06時53分40秒

なぜ
踊り念仏など
今の中に喜びを
目に見えぬ仏の慈悲にすがりつけ
という方向になるのでしょう?

自力本願は政治なんですよ。

悟ってみれば
人間という存在の変さにいきあたる。

自然に知性は必然じゃないのです。
どうしても
必然という解は見出せない。
なぜなら
生命も必然ではないからです。

http://

 

レンタル掲示板
/13